竿灯まつり 8/3~6
千秋公園(久保田城)の周囲、現在の旭川までは内町、それより西側は外町と呼ばれ、内町は侍の町、外町は商人の町として町割された。町や路は変わっても、藩政時代から変わらず続いている外町文化の代表として、竿灯がある。稲穂に見立てた竿灯の提灯が夏の夜空に映し出され、幻想的な雰囲気を醸し出し、実に美しいものである。
以前から提灯に描かれている町紋には興味を持っていたのだが、調べてみると以外に意味深いものであることに驚いた。この夏の竿灯のちょっと違った観かたができるかもしれないと思い紹介することにした。
竿灯が現在のような形になったのは江戸時代中期になってからのことらしい。当時竿灯を出したのは36町内、この中で明治以前に取り止めたのが5町、大正、昭和になって差し手不足から中止したのが13町、現在も引き続き出竿しているのが18町内で、当時の町紋が判るのが31、この31町内の紋章から各町紋には、それぞれに大きな願いのこめられていることを知ることができる。
久保田の外町において、常市の市場権をもっているのは通町だけであった。通町以外で商域圏の中心となるところは、草市の開かれる3丁目小路と横町、それに馬口労町であった。このように4つの区域に分かれ、それぞれの地域で経済活動が行われていた。こうしたことから町紋も4つのブロヅクに区分され、まとめられたものだと云う。
【通町ブロック】
藩政時代には各町内の竿灯が通町橋に勢揃いし、お城にむかって敬意を表し、川口の方へ下ったとある。こうしたことからお城に近い上通町の町紋が、神前に供える三方に御神酒徳利となった。即ち神前(久保田城)に御神酒(上通町)を、また豊作、豊漁に感謝して、餅(上米町一)と真鯛(上肴町)を供え、高貴な牡丹(上米町二)や大の花文字(大工町)で飾り、亀(亀之丁)や松(下米一)で長寿を祝い、無病息災を祈り、幕開けの祝儀として三番隻(中通町〉を舞う。どれも城下町のまつりの出発点にふさわしい祭り絵巻を感じさせる。
【大町中央ブロヅク】
揚幕で表現される神前(八日町)に、豊かに実った新穀(田中町)や海の幸(下肴町)を供えて感謝し縁起の良い朝焼けの富士(寺町二区)を背に、長寿延命の慶びの舞、折鶴(豊島町)柳に蹴鞠(柳町)を奉ずるの意である。
【旭南ブロヅク】
旭南地区は職人の町であった。その中で東部の本町通りは織物師や鍛冶職人の町で本町六丁目は「軍配扇子」、上鍛冶町は「下がり藤」下鍛冶町は「巻き鶴」鍛冶町川反「打ちでの小槌」と何れも専業特権を持って、藩の厚い保護を受けていただけに、それぞれの町紋も由緒ある紋様である。自分たちの生活圏を祓い清めて福の神を呼び込もうとでもいうことなのか。西部は大工や左官職人の多い町で、鉄砲町は「鐵」四十間堀町は「堀」城町は「城」馬口労町は「馬」何れも町内の一字をとって紋章としている。十人衆町は藩に多額の御用金を献納した十人衆がいて、「寿」の紋章を授かったと言い伝えられている。誓願寺門前町は神の使い「明け烏」を町紋としている。一字の町紋は住人をあらわしていると考えると、神に遣わされた住人(鉄砲町、四十間堀町、馬口労町)が城を守りながら寿(十人衆町)で祝意を表現しているのでは。
【川口ブロック】
川口は雄物川の水路によって運ばれた海産物、米、薪炭などが、旭川をさかのぼって陸揚げされ、久保田城の表玄関として湊町的存在だった。町紋は帆掛け舟のなかにそれぞれの町名を入れた「町名帆舟」で、帆に一杯の風を受けて走る宝船は、縁起物として瑞祥を表し、久保田城下町の繁栄への祈りが込められている。(※堀田正治著「竿燈の本」)
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